求めているものは手に入らず、
重要性のない事柄だけは出合いやすい。

以前から見ようと思っていた番組を見逃した。
彼の番組をまた見逃すなんて・・。気づいた時にはもう遅い。
夢から覚めても尚、夢の欠片に縋り付く。
現実という強風で散り散りになってしまうまで。
「チャンス」は日常にある、だか掴もうとしない。
「恋人」を作る以前に、人間とのやりとりが悲惨です。
恋人自体できるのか不明です。

人の顔を見れません。仕事の休憩時間とか建物内で擦れ違う時とか、恐ろしくて見れません。会話もろくにできません。何も返答が浮かびません。負の事ばかり考えちゃって会話が頭に入りません。そして人間と関わる気ありません・・・。めんどい。

・・・っふ、うける。もう、うけちゃう、自分で。

どうこう言おうとやはり心の奥底では求めているのは、事実だと思う。
日々の被害妄想により、私は恐れている、人との関わりを。
そして、この気に食わない容姿。それを隠そうとするけどかえって逆効果なのかもしれない。堂々と前を見て行動すれば、あまり変に目立たなくなるかもしれない。
だけど今まで生きてきた、その行動が今の私の行動になっている。
癖を直すことは容易ではない、だから少しずつでいいよね。って独り言。
寂しい独り言。すぐ感傷的になる。寂しいけど、面倒くさいやりとりが無いのが良い。
そよ風の中にも陽だまりの中にも雨の中にもあなたはいます。
悲しい時つらい時苦しい時にもあなたはいます。あなたはいつも私の傍にいますのに、私たちは常に一方方向ですね。

7月18日の日記

2011年7月18日
比べる。他人と自分を比べる。
劣ってる。私の方が人間的につまらない生き物だと思ってしまう。
いない。自分がいない。
自分なりの人とのやり取りの仕方が分からない。
ない。気に食わない。
理想とする自分像が明白にならない。
すべてが。そう全てが悲観的。
もはや私は目の前にあったとしてもその喜びに気づかない。
得たいのか、不要なのか
求めているのか、避けたいのか

他人に好かれる、ってそんなに良いこと?
もうヤダよ、分からないよ。人間と関わるって事がこんなに難しいことだなんて。
人と関わっている時の「私」って、いったい誰なの?普段の私は何処に行ったの?独りの時と他者といる時とでは、態度は違うのは当たり前だろうけどもう分からんよ。あんなに諂う必要なんかないし、心ではそう思ってないのに。関わりたくないのに気に入られたいとも思う。この容姿もこの思考も、私は好きになれない。おかしい、おかしいだろうこんなのは。

ふんっ、くだらね。私も数ある中の一人、結局は他の人間たちが経験したであろう事を経験してるわけだし、人間全体から見た私の人生なんて、まったくもって無意味だよな。まぁ私としてみたら、私として生きる事はたった一度だけだがな。私がこの容姿を好きか嫌いかなんて他人からしたらどぉ~でもいい事だしょな。ほんっとくだらね、エスカレーターに右足から乗るか左足からか迷うくらい、くだらね。じゃ、なんか行動起こせよって感じだが、ふっ、やる気ねぇ。まぇな、私の時間は私だけで、他人には関係ないから。
は?!どうやって生きろとっ?!
この顔で”!この脳で”!
人間として生まれたのに、人間と生きることが苦痛だなんてっ!
あ~ぁ~見えね~よ!真っ暗くらよ。私の人生の指針は何なのよ?!
私は何処に向かって何処を歩いているのよ!さっぱり分からん~よ。
前から人が来るとき、人とすれ違うとき、人の隣に座るとき、
いっぱいある、嫌な場面。
私、顔に囚われすぎているのか。「アジア人だから仕方が無いね~、やいっ!」って開き直れぬ。鏡見た時とか、街の人々見た時とか、「ぁ~あじあだ~。ここは日本、そして私もあじあジンだぁ~。」とか言ってウザっ!私ウザ”っ!!何この文、ウザ”!ほら、こんなんだからいけない。こんなんだから思考まで腐る。
はぁ・・ってか比べるからいけない。とりあえず、自分以外の人間を仮に全員いないとすると、私は他者と比べなくなる。そうすると私も馬鹿ではなくなる、だって馬鹿さ加減を比べる対象がいないから。いや馬鹿だが気にならなくなるよな、きっと。あっそうだ、人間一人一人を惑星だと思えば良いかも。そうすれば、各々の惑星にはそれら特有の性質があるから、比べても苦にならないか???あの惑星はこう、その惑星はこう、で私の惑星はこう、って意味分からんな・・。
ふっ・・どうしょもね~よなっ!なんだかんだ言ったって比べちまうからさ!
死ぬか生きるか。生きている間は常にこの問題に直面しているわけだが、どうにかこうにか忘れちまうんよねー。平和ってことなんだろぅけどね!
失った時になって初めて、そのものの価値をまざまざと知る。ま、死んじゃえば分かりようがない?でもたった一度きりの生命だしなぁ、私ですらも。思考や容姿はこの地球に存在するために必要な道具。「あっそっか私生きているんだ」って時々思い返す。注意を、「生きている」「生命活動をしている」ことに集中する。
それがあるからこそ、私はある。他人が私の事をどうこう思おうが、私は道端に咲いている花に感動するし、空を飛び回る鳥の羽ばたきに耳を澄ませたりする。
月明かりは私の涙を誘い、枕は涙で濡れる。そして私は涙の中に夢を見る。
太陽は涙を乾かし、私をまた孤独でも平気な人にする。

だるさが私の身体を縛り付け、動きを鈍くしたの。
思考には霧が掛かり、美しいものすらの認識も難しいわ。
永遠と流れるこの川の行き着く先は何処?
気を抜けば、急流に足を取られて溺れてしまいそう。

人間として生きている以上、他人にも自らの存在を示したいのかしらね?
それが、このネットに私の日記を書く理由??
孤独が気楽で過ごしやすいはずなのに、やっぱりどこかで求めるよね、人との繋がりを。だけど、いざその機会が巡ってきても決まって避けるわね。面倒くさいし、興味無いっていう矛盾が取り巻く私の気持ち。


思った事を言葉にする、って難しい。

これを言ったら相手は不快な思いをするかな?
これを言ったら私のことを変な人だと思うかな?
今言うんじゃタイミングが遅いかな?

考えすぎちゃう、悪い方に悪い方に・・。
そして結局何も言えない、黙っちゃう。

それなら発言により傷つく被害を抑えられるかもしれない。
だけど得るものも少ない。

知らぬ他人の返答を推測することが間違いよね。

自分嫌いが原因かしら??
自分が嫌いだからこういう行動を取るのか、
あるいは、こういう行動を取るから自分が嫌いなのか・・?
なんか自分で何を書いているのか分からなくなる。
結構ぼけーっとして、何がなんだか分からなくなる。
ぼそっと日記って言うか、ぼけっと日記だなこりゃ・・。
ぼーっと引きこもってたから脳が不活性なのかしらね・・。
如何にして自らを表現するか。
他者との関わりを通してのみ、見えてくる自画像はある。
逆に、独りの時にしか見えないそれはある。

悩み悩み生き、その時を迎える。その者の人生の意義とはその者にしか決めることができない。
一人ともう一人は互いに違う生き物。他者の思考を制御できぬように、他者も私の思考を制御できない。
それぞれは独立し、合い混じることはない。1+1=2であるが、答えが4になるには1+3や2+2がある。
たとえ導かれる先が同じであろうと、その過程は必ずしも同じではない。

私たちは「死」という生命活動の停止するその時まで思考を持ち続ける。
それまでの各々の経験はみな異なる事は当たり前。

生命活動が終わり 思考が停止するとき 「生きる」という舞台に幕が下りる
引きこもり生活を送っていた者が働き出すことは良い事だ! うん!
今日から私も社会の一員。仕事を任され、それを遂行する。
そう、面倒くさいね。嫌だしさ!
あぁ~でもお金。PSP欲しいし、ティーセットも欲しい。
それらのために頑張ればいっか!
友達とか、彼氏とか、そういうことは考えない。
いないしいないし面倒くさいしっ!
人間との交流が面倒くさいが、欲しいもののために私は働かねば!
もう究極それで行くわ。ナルルやりたいし。

人がどう思おうと彼女の働きに出る思想は明確であった、
「そう、そこに物欲がある限り・・・」。


適者生存、しぶといものは生命活動を継続させる。
弱きものは淘汰され、しぶときものは生き残る。
その人の人生の意義は、その人自身が決めるもの。
正解があるわけではなく、また間違いがあるわけではない。
さまざまな捉え方ができる。

生命の数だけ思考がある。



この身体を通してのみ私は存在することができる

冷たい雨や心地良いそよ風を感じたり

悲しみで濁った涙を流したり 些細な嬉しい事にニヤニヤしたり

私や人々はそれぞれ異なる思考を持ってる だから私は彼らではない

私の人生の行き着く先は 私自身 私の思考が私を作る

今のこの とき は私のもの だけど彼らにも 彼らの とき があって

共存してる 同じ時代を生きている

だけど




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